CGS

【神谷宗幣氏、武田邦彦氏】歴史を科学すると【CGS】②

【武田氏の導入・歴史を科学する】

私は歴史が好きで、高等学校から大学に行くとき歴史(の勉強をしに)に行こうと思ったんです。ところが運悪く、数学とか物理とかができちゃうんですよ(笑)。だから、大学進学するときの担任の先生が「武田君は数学とか物理とかができるんだから、そっちに行ったほうがいい」と言われたので、(数学とか物理とかを勉強しに)大学に行って、世の中に出てみると文科系が威張っているんですよ。だから「あれ?」と思いました。今でも技術職は下僕みたいな扱いですからね。
それはとにかく、歴史は特に好きだったんです。

しかし、私はあんまり人間に興味がないんです。その点では自然科学の人間です。何かを触っても、それが何でできているのか、すごく興味があるんです。家に入ってパッと見ると何ワット電気を使っているとか、そういう感じなんです。あるとき、駅に立っているたら、電車が入ってきました。そうすると私が(無意識に)何を見ているかと言うと、ディスクブレーキは幾つ、パンタグラフは幾つ、とかいうのを見ています。ところが、横に立っている人は何を見るかと言うと、電車から出てくる人を見てるんです。だから、もともと見ている点が違うんで、そういう意味では科学者だったような気がします。

だから、歴史を科学的に見るんです。

例えば、私だったら(歴史を教えるときに)鎌倉時代がいつできたかなんて覚えさせないですよ。
なぜかと言うと、紀元前1300~1100年に鉄器がヒッタイトで作られました。鉄は1700度以上に熱さないと溶けないので、(ヒッタイトで鉄器が作られるまで)到底作れませんでした。
そのため、ヒッタイトで鉄器ができると、ヒッタイトは非常に強くなりました。
つまり、青銅の剣と鉄の剣をぶつけると、青銅の剣が折れるからです。その当時、小国ヒッタイトが強国エジプトのラムセス2世と今で言うイスラエルのあたりで戦って引き分けました。小国のヒッタイトが大国のエジプトと引き分けたのは鉄と銅との差でした。

この時、すごい副産物があって、鉄で鍬(くわ)を作ったんですよ。そうすると、石くらいでは折れずに、さくさくと作業ができ、食物生産量が増えました。これにより、紀元前1000年くらいに何ができたかと言うと、「暇な人」が出来ました。なぜかと言うと、鉄器ができる前は(食料の生産量が少ないので)1000に居たら、1000人とも働かなければいけませんでした。しかし、(鉄器が出来て食料生産が増えたので)900人働けば1000人が食べていける様になりました。そこで100人くらいが暇になりました。その暇になった人が王様・貴族・兵隊・思想家・宗教家などになりました。

だから、ゾロアスター教にしてもなんにしても宗教はだいたい紀元前1000年くらいに出てきます。暇人の登場なんです。鉄器がユーラシア大陸を渡って中国にたどり着くのに500年くらいかかりました。すると中国の農業生産が向上して、何ができてきたかというと、孔子とか老子とか孟子とか暇人が出てきたんです。その形、つまり「暇人の一味が働く人たちを支配する」と言う形がいつまで続いたかと言うと、私は(少し前にニュースになったアメリカの1%の人がアメリカ全体の50%の人の富を集めていると言う話を思うと)今でも続いているのではないかと思います。呼び方が変わっても、支配層と大衆(働く人)と分かれているだけといえます。なので、紀元前1300年のヒッタイトが鉄器を作り出した事だけ教えれば、後は支配層の名前だけ変わってるだけですよということになります。秦の始皇帝とかナポレオンとか、ヒットラーとか、シーザーとか支配層の名前が変わっただけです。

日本でもだいたい700年くらいに大和朝廷の形もはっきりして、暇人と働く人と二つに分かれました。暇人が、天皇だったり、藤原家だったり、平清盛、源頼朝ってなっただけで、ずっと変わってないのではないかと思います。例えば鎌倉幕府ができて、トップは変わりましたが、当時の民衆にとっては納税先が変わっただけで(以前と変わらず)農業をやっていたわけです。そんなことは時代の差なんですかね。もしもどうしても、歴史的に覚えなければいけないとすれば、平清盛ではないかと思います。それまでは訳のわかんない理由で天皇とか貴族が治めていたものが武力が強い者が天下を取って治めることに変わったと言う意味で、鎌倉じゃなくて、平清盛ですよ。しかし、平清盛が武政を布き始めた日なんて教えてくれないですからね。

学校の試験ではやたらと年号とか織田信長の正室とか何か、関係あるのかと言いたいです。酷いのは織田信長のお姉さんがお市の方は浅井に嫁いで浅井がだめになったら、柴田勝家に嫁いでなんて話は歴史に関係あるのか疑問に思います。これは文学ではないのかと聞きたくなります。

【脱線:奈良の大仏の出来た理由】

少し脱線すると、奈良の大仏はなぜ作れたのかと言うと、日本には砒素入りの銅が多くありました。なぜ、砒素入りの銅が多いかと言うと火山から出てくるので火山の多い日本には砒素入りの銅が多くありました。銅と砒素が混ざっている鉱石は(条件がそろうと)800度くらいで溶けます(銅のみの融点は1085度)。 山口県の長登銅山の銅には砒素が入っていたので、容易に溶けました。それを奈良に運んで作ったのが大きな大仏だったんです。もし、容易に溶ける銅がなければ、高火力が必要なので作れなかったでしょう。それともう1つは水銀があったことです。なぜ水銀があったら、大仏ができるのかと言うと、当時、金を貼るということがという事ができなかったので、金と水銀を半々に混ぜて、かき混ぜると溶けるんです。それをハケで塗って、火であぶって水銀を飛ばすと、金箔ができます。だから、日本では水銀鉱脈上に、権力者がいたんです。

【個人的感想】

鉄器の生産が可能になった時代には他説もあるが、武田先生の歴史のばっさりした理解は目からうろこが落ちる面白さでした。確かに、食料がなくて食糧確保に勤しんでいたら、王様家業はできないだろうなぁと思う。しかし、暇人になったら暇なんだろうから、ぼちぼち働きつつ偶に暇するぐらいがちょうどいいかな。

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