虎ノ門ニュース

【百田尚樹×江崎道朗】日本敗戦革命!第2の危機【虎ノ門ニュース】

【共産主義革命のおさらい】

1919年 ソ連のレーニンがコミュンテルンを組織
→米国にコミュンテルンのスパイが入り込み暗躍
 反日世論工作を展開
1941年 大東亜戦争勃発
1945年 GHQの占領政策が始まる
→GHQの内部や、公職追放により居座った共産主義者が日本の共産化を画策
1947年 2・1ゼネスト
→共産主義勢力がゼネストを行い、混乱に乗じて革命を起こそうとした。

【江崎氏・百田氏の解説の要約】

今年がコミュンテルンの結成100にあたる年(1919年コミュンテルン結成)です。
そこで、2月~3月にバルト三国とポーランドに行ってきました。
バルト三国やポーランドはソ連・コミュンテルンによって第二次世界大戦中占領されました。
そして、バルト三国やポーランドは 戦後もずっと苦しんできているので、
「ソ連・コミュンテルン ・KGBがいかに酷いことをバルト三国やポーランドにしたのか」
ということを知らせるための戦争博物館をあっちこっちに作って告発運動をやっています。
「ソ連スターリンの戦争責任を忘れるな」という活動を常に継続しています。
戦後、(東ドイツやポーランドなど)ヨーロッパと中国・北朝鮮はソ連・コミュンテルンの工作で共産主義の国になりました。
たとえば、中国共産党はコミュンテルンの中国支部で、日本共産党はコミュンテルン日本支部です。
世界中に共産党を作って共産化(簡単に言うと、金持ちをぶっ殺して共産党で一党独裁をして、お前ら人民は言うことを聞けということ)しようとしてきた、結果、ソ連に併合されて国名がなくなった国もあります。バルト三国もそうですし、ウクライナとかアゼルバイジャンなどはソ連がつぶれてから再独立して「そんな国があったのか」となりました。
20世紀は共産主義に乗っ取られた時代だったので、戦争で負けた国を共産勢力が乗っ取る(敗戦革命)ということを日本にも対象にしていたので、日本が戦争に負けた後、軍隊がなくなり、警察がほとんどなくなり、治安組織もなくなり、政府機能は麻痺する。という状況下で、共産党と共産党に組する労働組合が暴れたい放題という争乱状態の中で国家機能を一気に権力を握ろうと1947年2・1ゼネストの時に企んでいたし、それをGHQの中にいるソ連のスパイも応援していた。非常に危ない状況だった。

【 ヴェノナ文書について・ 居島氏による導入】

これまで、共産主義勢力の暗躍については、いわゆる「陰謀論」ではないのかということで片付けられて来ましたが、それを覆す非常に重要なアメリカの公文書が1995年公開されました。それが、
ヴェノナ文書 です

【 ヴェノナ文書について 江崎氏・百田氏の解説の要約 】

大東亜戦争中にアメリカのルーズベルト民主党政権で(共和党は共産党が嫌いだったが)民主党は共産党に融和的でした。ルーズベルトはソ連共産党に非常に甘く、(その結果)ホワイトハウスも含めたルーズベルト政権の中にソ連のスパイがたくさんいて、彼らが「日本とアメリカが戦うように仕向けたのではないかとか」というよな、うわさは長年ささやかれていました。
つまり、証拠がなかったので(共産主義勢力の工作が)陰謀論とされて来ました。
ところが、1995年にアメリカ陸軍の情報部がホワイトハウスやルーズベルト政権のところにいる官僚たちの家の秘密電報を傍受して解読作戦の内容( アメリカのNSAという政府機関が公開しており 約5000ページ分)が公開されました。
これがいわゆるヴェノナ文書といわれるもので、(暗号になっている)内容を解読すると、
たとえば(日米の開戦理由になったといわれる)ハルノートを作成したハリー・デクスター・ホワイトはソ連のスパイだったことがわかりました。
たとえば、日本国憲法の制定にかかわっていた、トーマス・アーサー・ビッソンという人も、ソ連のスパイだったことがわかりました。
このようなことが次々と表に出てきて、「(うわさに言われていたように)やっぱりルーズベルト政権の中にソ連のスパイがいたというのはうそではなかったんだね」ということがアメリカの政府の文書で明らかになりました。
(居島氏の合の手で デュープスの話題に)
無自覚に扇動され 共産主義者と同じようなこと主張する人をアメリカでは(最近は日本でも)半分馬鹿にして 「デュープス」と呼びますが、無自覚に扇動されているので本人はそんなつもりはないわけです。だから、( あいつはデュープスだと )レッテル張りをしてもあまり意味がないんです。
それよりも、「共産主義のイデオロギーにうまく騙されているんだから、少し自分で考えましょうよ」というアプローチをしないといけない。
加えて、「自分たちもうまく操られているんじゃないか」ということを深く自分で考え直す。
本来の「デュープス」の意味は「(無意味な)レッテル張りをやめましょう。(共産勢力は扇動がうまいので)どうしても誘導されがちなので、自分自身も誘導されているんじゃないかということを自分で考えながら、情報というものを立ち止まって精査するための戒め」という意味でもあります。

【1950年日本列島分断の危機・ 居島氏による導入】

あまり知られていない日本列島分断の危機1950年昭和25年に実現していたかも知れないという、恐ろしい話ですが、2・1ゼネストで敗れた共産主義勢力が盛り返しを狙っていた共産主義勢力が1947年11月にソ連が極東コミュンフォルム大会を開催しました。

【1950年日本列島分断の危機・江崎氏・百田氏の解説の要約 】

コミュンテルンという世界を共産化するための世界の組織というのは戦争中にいったん廃止するんです。なぜかというと、ソ連がアメリカと組むために、「もうこれから世界共産化止めます」ということにして、コミュンテルンはいったん廃止しました。
しかし、廃止したんですが、戦争が終わって東欧を共産主義化していますね。再び、世界を共産化していくにあたって、1947年にコミュンテルンに変わってコミュンフォルムという組織を作るんです。実質、同じですけど名前だけ変わったというものです。
正解共産主義ネットワークの司令塔 (のスターリンは)は、まずヨーロッパを共産主義にすることを考えました。ヨーロッパのポーランドとかバルト三国とか東欧をだんだん支配して、一通り終わった段階で、(ソ連共産党のトップの)スターリンは「次はアジアだ」と考えて、1947年に極東コミュンフォルム大会という大会を開いて「アジアの共産化をこれから行う。アジアの共産主義者よソ連共産党と中国共産党に呼応してアジアを共産化するぞー!がんばれー!」といった具合にアジアの共産主義者に意思を示したんですよ。この大会はウラジオストックやハルヒン等で11月から翌年の1月にかけて複数回行われました。
この時、当然日本共産党の幹部も参加していたといわれています。
今大会では、軍資金といわれて、金の延べ棒や宝石などをもらって、それを持ち帰って革命資金にしていたといわれています。
このような話で、極東コミュンフォルムが動き始めて、本格的に、ソ連や中国共産党が乗り出して、アジア共産化を始めている。この動きにまずいと思ったのがアメリカの占領軍で、ものすごい勢いで情報収集を始めます。
このころ(終戦から1950年ごろにかけて)、日本はGHQに入り込んでいたソ連のスパイによって逮捕されたり、公職追放されていた共産主義者が解放され、公職・メディア・教育界などに送りこまれたいました。しかし、極東コミュンフォルム の動きを見てGHQも共産主義を危険と考え赤狩り当が行われましたが、浸透が進んでおり、取締り切りませんでした。また、トルーマン民主党が政権を持っており、GHQ内の勢力では反共派の人たちと容共派の人たちでは容共派の人のほうが優勢でした。 (連合国軍最高司令官の)マッカーサー は共産党嫌いでしたが共産勢力を過小評価して、共産主義勢力の拡大を招いた。

【1950年1月アチソンライン・ 居島氏による導入】

このような状態で日本にソ連の工作が及んでいた中でアメリカの国務長官アチソンが「アチソンライン」と呼ばれる声明を発表します。アメリカが責任を持つ防衛ラインはフィリピン-沖縄-日本-アリューシャン列島までで(言外に)それ以外の地域は責任を持たないというものでした。

【1950年1月アチソンライン ・江崎氏・百田氏の解説の要約 】

ここで問題になったのは、韓国、朝鮮半島、台湾が入っていないことです。なので、当時すでに中国共産党政権はすでにできていて、中華人民共和国はチベットやウイグルなどをどんどん侵略し始めていた時期で、ソ連もヨーロッパやアジアに侵食しており、世界を共産化する気満々で、とりわけ中国では(国民党の)蒋介石政権との戦いに勝って「俺たちは中国を取った」という高揚感のある時期に、アメリカは「朝鮮半島や台湾を護る気がありません」と言ってしまう形になりました。
アチソン国務長官はソ連のスパイではありませんでしたが、コミュンテルンのスパイたちの本の愛読者でした。要するに天皇は戦犯だとか、日本を打ち滅ぼせとか、日本は軍国主義者で世界征服をもくろむ酷い国だから国家神道をつぶしてしまえとか、そういう本ばかり読んで物を考えている人なので、後で台湾や韓国を護らないとは言っていないと発言を修正はしています。しかし、最初に朝鮮半島や台湾を護る気が ないと受け取らせるような発言をしてしまいました。
そのため、金日成にアメリカが朝鮮半島を護りに来ないと思わせてしまいます。それは韓国に攻め入る要因になりました。

【1950年の主な出来事①】

1/12 アチソンライン発表
2/14 中ソ友好同盟相互援助条約締結
2/18 ソ連代表部が日本に革命指示
4/14 アメリカが対決方針の決定
6/6  マッカーサーが日本共産党24名を追放

【 1950年の主な出来事① ・江崎氏・百田氏の解説の要約 】

1949年に毛沢東率いる中華人民共和国が蒋介石率いる中華民国を台湾に追い出して建国し、勝利した毛沢東はすぐにモスクワに行きました。

そして、スターリンと会って中国を取った。大陸は共産化した。次どうするかを相談しました。会談して中ソ友好同盟相互援助条約を結ぶんですが、ソ友好同盟相互援助条約 には、日本の侵略阻止するために中国とソ連は同盟を結ぶと書かれていたんです。

これはどういう意味かというと、日本を自分たち(共産勢力)の支配下にするということです。
そのためには、まず、朝鮮半島を支配下に置くという段取りを行いました。

それは、2月18日に日本共産党に出した「朝鮮半島に攻め込む際に、 在日米軍が動けないよう(朝鮮半島に行けないよう)に日本列島で武装革命して在日米軍を釘付けにしろ」という指示でした。

このあたりの記録はアメリカの公文書にすでに出ている話です。
アメリカが日本共産党が武装かうめいを行おうとしているという情報をアメリカが手に入れて、
NSC(国家安全保障局)が日本が本当に共産化してしまうという危機感を持ちました。また、これまでのように、日本の共産党の人間を泳がしている場合でもないし、そもそも、米軍もあまり日本にいないし、日本に軍ないし、警察官も銃を持たせてないし、非常にまずいと気づきました。ここで、日本の再武装を含めたことをやらないと本当にまずいという話になりました。

そこで、4月14日に方針を代えて共産党と対決する方針の決定がなされ、マッカーサーが6月6日に日本共産党員24名を追放するという流れになります。
ただし、この時、共産党と対決するという方針を決めたものの、日本には共産党を取り締まれる組織がなかった為、徹底した対策は打てませんでした。

【ソ連の革命指令による動き・ 居島氏による導入】

ソ連の革命指令によって中国日本共産主義連合という組織が非合法に活動を開始しました。その組織はトップが中国共産党員でその下に(現在の朝鮮総連とは異なる)朝鮮総連、さらにその下に日本共産党がありました。

【 ソ連の革命指令による動き ・江崎氏・百田氏の解説の要約 】

この時期(革命指令の出た1950年ごろ)、日本共産党はパシリ役でした。

力関係は
 強い 中国共産党>朝鮮総連( 朝鮮系共産主義者 )>日本共産党 弱い
でした。
このときの朝鮮総連は朝鮮系共産主義者で今の朝鮮総連とは別の組織と見たほうがよいです。

【 1950年の主な出来事② ・ 居島氏による導入】

6/25 朝鮮戦争が勃発
7/8  マッカーサーが警察予備隊の創設を指令
8/10 警察予備隊設立
9/14 北朝鮮が釜山まで進軍
9/15 国連軍の仁川上陸作戦成功
    (以降、戦争は3年続く)

【 1950年の主な出来事② ・江崎氏・百田氏の解説の要約 】

アチソンが防衛ラインはここ(いわゆるアチソンライン)まで、(言外に)朝鮮半島は防衛範囲ではないといってから、約半年でスターリン(ソ連)の命令を受けた、金日成(北朝鮮)が韓国に攻め込みました。当時、在日米軍が約10万人くらい、韓国にはほとんど軍隊がいない、日本軍はゼロでした。この状況は非常に危険な状況でした。 軍隊がほとんどアジアにいないので北朝鮮からすれば、絶好のチャンスですよね。侵攻の準備は継続的に行われていたので、アメリカが介入してこないと判断するやいなや、すぐに行動ができました。そのまま、韓国は追い詰められます。
この状態を受けて8月10日自衛隊の前身の警察予備隊が創設されました。
9月14日韓国が釜山まで追い詰められました。9月15日国連軍(実質アメリカ軍)の仁川上陸作戦が実施され、国連軍の反撃が始まります。

一方、日本では(ほとんど)軍隊がいない状態が発生していました。在日米軍が北朝鮮に反抗作戦(
仁川上陸作戦 )を行ために朝鮮に動いたからです。
そんな状況下で マッカーサーは警察予備隊を創設したものの、日本の再軍備に反対だったため、警察予備隊に小銃しか渡していませんでした。(この小銃のみ状況は11月に中国共産党軍30万人が北朝鮮への援軍として派遣されるまで続きました。)小銃で戦車部隊に立ち向けないため、(警察予備隊があっても)日本の軍備は実質ないと言っていいような状況でした 。
また、ソ連が北海道や東北に攻めてきた場合、北海道や東北(の一部)を放棄するという事を決定したのです。後に、陸上自衛隊の幹部が回想録で 「防衛ラインを引くとしたら、仙台のあたりにすることになる」という趣旨のことを書き残しています。
もしこの時、スターリンが本気で北海道を取りに動いていたら、日本は本当に分断されていたでしょう。
この状況でどうして共産主義勢力の野望がどうして実現しなかったのでしょうか

【共産主義勢力の野望を打ち破った要因 ・ 居島氏による導入】

①アメリカ・国連軍による反撃
 →仁川上陸作戦による盛り返し
②日本の警察予備隊の創設
 →アメリカは日本を「反共産主義の防波堤」へと位置づけを変更
③日本の革新勢力が中ソに同調しなかった
 →レッド・パージで日本共産党とそれに同調するマスコミは公職追放されて沈黙
 →社会党などは同調しなかった。

【 共産主義勢力の野望を打ち破った要因 ・江崎氏・百田氏の解説の要約 】

まず、アメリカ国連軍が強力な反撃をして、北朝鮮軍を押し返しました。加えて、核兵器を使用することも辞さないと強い姿勢を示しています。中国が北朝鮮に30万の援軍を差し向けて、こう着状態になった際に、マッカーサーは本国(アメリカ)に核爆弾の使用許可を求めていました。(実際に使用はしませんでしたし、ソ連は核兵器の開発に成功していましたが)中国やソ連に侵攻を躊躇させる効果がありました。
次に、創設していた警察予備隊に、中国共産党軍30万人の援軍が到来したことに危機感を覚えた、マッカーサーが急遽、日本の警察予備に戦車や榴弾砲などの本格的な再武装の以来をアメリカ本国に打診し、警察予備隊の本格的な再軍備が実施されました。警察予備隊の本格的な再軍備は(旧軍が非常に精強だった為)ソ連、中国を警戒させるのに十分な効果がありました。
次に、レッド・パージで日本共産党が沈黙して武装蜂起できなかったこともありますが、大きかったのは、社会党が共産主義勢力に同調しなかったことです。社会党はこの時、朝鮮戦争は北朝鮮による侵略でけしからんという態度でした。当時社会党は、戦前からの流れで、貧民救済を求める愛国派が大勢いました。 社会党右派の代表格の指導者西村栄一氏が 「我々(社会党)は労働者の味方であってソ連の味方ではない」という主張を牽引しました。そのため、当時の労働組合の総表も北朝鮮の侵略けしからんという表明を出していました。共産党系労働組合以外の労働組合は純粋に貧民救済のために何とかしなければいけないと思っているだけで、安全保障はまともでした。

【個人の感想】

つくづく20世紀は共産主義の時代で、戦争ばっかりやってるし、大変な時代だったんだと思い知らされる。今21世紀になって戦争のきな臭さが世界に漂う中、日本はどうすれば、戦争に巻き込まれずに生存できるのだろうか。
今回のニュースでわかったことは、抑止力がないと、攻め込まれるって事と、相手に攻め込めば勝てるという思いを抱かせないことが抑止力になるってこと。
日本の周辺には中国とかロシアとか韓国とか日本の領土を狙う不届きな連中がごろごろいるし、北朝鮮とか言うミサイルで恫喝ばかりするチンピラみたいな連中もいる。
今の日本の防衛力は彼らに対して十分なものになっているだろうか。
答えは否だろう。
なぜなら、中国は尖閣諸島に軍艦を毎日のように派遣しているし、ロシアは北方4島を占領していし、韓国は竹島を占領しているし、北朝鮮はミサイルを発射できる潜水艦の製造を始めている。
もはや日本も抑止力の増強を確実に実施していかなければ、ウイグルやチベットのようになりかねない。
今日より少しよい明日を迎えるために、今日がんばらなければならない。

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